『散らされてもなお』   使徒行伝8:1-8/26-39

ペンテコステによって誕生した教会は、2万人の大きな群になりました。しかし教会の内側から問題が起こり、また教会の外側からも困難や迫害が襲い、信徒リーダーであったステパノが石打ちの刑にされました。その迫害はますます拡大して「大迫害」(1)となり、「使徒以外の者はことごとく、…散らされ」(1,4)ました。今日の中心人物はピリポです。彼は、タイトルにあるように「散らされてもなお」どうしたかを見てみましょう。

T.サマリヤに行ったピリポ
 信徒伝道者のリーダー格ステパノの殉教後の中心人物は、サブリーダーであったピリポ(6:5)です。彼はエルサレムからサマリヤに行きました(5)。そこは安全だからではなく、福音宣教のためでした。当時、ユダヤ人はサマリヤ人とは交際していなかったのです(ヨハネ4:9)。しかしピリポは、何百年も敵対関係にあったサマリヤに、あえて伝道に行ったのです。その結果、「この町では人々が、大変なよろこびかたであった」(8)とあります。つまり、ピリポによる伝道は、サマリヤの大勢の人々に喜ばれたのです。

U.ガザに向かったピリポ
 ピリポは主の使によって、「ガザへ下る道に出なさい」と命じられ、彼はカザに向かいました。ガザは、地中海沿岸の町で、「荒れ果てて」(26)いました。伝道は荒れ果てた地よりも、人々が集中する場所の方が、より多くの人々に福音を知らしめる機会となるはずです。主の使の命によって出かけたピリポは、エチオピアの高官に出会いました。彼は去勢された「宦官(かんがん)」(27)であったので、エルサレムに行って礼拝を捧げることは出来ても、ユダヤ教徒に改宗することは出来ません。申命記23:1参照。彼はエルサレムでの礼拝の帰り、馬車の中でイザヤ書第53章7節以下の「苦難の僕」と言われる御言を音読していました。それが32節以下です。彼はピリポの手引きによって、イエス・キリストを神の子と信じ(37)、洗礼を受けました(38)。彼は、律法によってユダヤ教徒になることは出来なかったが、キリストの十字架によってキリスト教徒、つまりクリスチャンにされたのです。福音は、自分こそ救いに相応しいと思う人には遠く、自分こそ救いに相応しくないと思う人には近いのです。このようにしてピリポの伝道によって、「宦官はよろこびながら旅をつづけ」(39)ました。つまり、ピリポの伝道は、宦官にも喜ばれたのです。

 初代教会には大迫害があり、ピリポは「散らされてもなお」逃げ隠れしないで伝道しました。彼は長く敵対関係にあったサマリヤに伝道に行って人々に喜ばれ、また荒れ果てたガザに行く途中で宦官に出会い、彼は救われて喜びに入れられました。私たちも、どこへ行ってもクリスチャンであることを隠さず、与えられた賜物を用いて、伝道し、証しし続けて行きたいと思います。その時、私たちの小さな働きが人々の喜びとなりうるのです。これは私たちの喜びでもあります。 
 

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